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新型コロナ感染症とかCOVID-19とか言われ出したのが昨日のようですが実はもう2年も経つんですね。なんだか公私ともに翻弄されまくった2021年ももうすぐ終わります。このブログも一つ前の書込みが6月ですからなんと半年もサボってしまいました。色々ありすぎて書ききれないので新婚旅行の思い出話でも書こうっと。27年前の年末年始僕ら夫婦はアラスカに新婚旅行に行ったのでした。1994年10月10日に大宮氷川神社で結婚式を挙げたわけですが新婚旅行はその年の年末年始にかけてアメリカ合衆国西海岸に行きました。式挙げて翌日から2泊3日で山中温泉行ったくせにそれはそれとしてまた行ったわけです。すみません。最初は大学院の時にちょっとだけあれした思い出の地サンフランシスコに入りまして年越しをしましたがメインの目的地はアラスカ北極圏フェアバンクスのリゾート地チェナ温泉、また温泉かよって言わないでくださいそれが目的じゃないんだから。そもそもなんで式挙げてすぐにこっち行かなかったかというと「その季節」を待つ必要があったわけです。SFからシアトルでアラスカ航空に乗り換えて(これがまた最高に心地よい接客な訳です。当時アラスカ航空は世界一と言われるほど接客クオリティが高かった)まずアンカレッジに入りここでお願いしていたツアコンの方と合流してフェアバンクスに向かいます。そこで少し体慣らしていよいよチェナ温泉へ。当時最低気温マイナス26度とかなんだけど露天の温泉があってみんな水着着てそこ入ってお湯の中はあったかいのに髪の毛凍ってるとかを体験したりして。たしかここで3泊したかな。この間にあれが見れるかどうかは運次第と言われて来ました。そう、オーロラね。これが見たくて見たくて準備に準備を重ねてこの時を迎えたわけです。日本人観光客で溢れてるかと思ったけど意外といなくて僕ら夫婦と同じようにもうひと組み新婚さんがいました。オーロラを見るには宿から極寒のなかひらけた丘に向かって歩いていかねばならず、しかも行ったらすぐ必ず見られるわけではない中で待ってると凍え死ぬので(笑)少ししたら引き返して暖をとるってのを繰り返すんですが、たしか2日目の夜だったと思う、丘に登ってう〜さむ〜とか言ってたらいきなりぶわ〜っと空いっぱいにオーロラさんが出てらっしゃいましてそらもう驚いたわ嬉しいわで二人で狂喜乱舞でした。写真も撮ったんだけど当時フィルムですから引越し繰り返すうちにどっか奥の方にしまわれてパッと出てこなくなっちゃった。ということで今回は一切写真なしですので。でこの時たまたま一緒に体験してたのがもう一組の新婚さんでしてこの旭川のご夫婦とは帰国後は一度も会えていないんだけどいまだに年賀状のやりとりが続いてます。オーロラはテレビなんかでもたまに映像が見られますがやっぱりリアルはそんなもんじゃないです。しかもその後の滞在中にあれほどの全面的なのは見ることができず相当ラッキーだったみたいだし。そんな感動的なチェナの滞在の後はフェアバンクスからアンカレッジまで11時間かけて走るアラスカ鉄道の旅でした。距離的には東京大阪間くらいなので飛行機ならすぐなんだけどわざわざゆっくり走るのは野生動物が横切ったりするからとか。実に贅沢な旅でした。そしてデッキから美しい景色を撮ってたらアンカレッジの新聞記者のおいちゃんに取材されて記事になってしまうという。後日本当に送られてきたのがこれ。今ならメールでPDFなんだろうけどね。
27年前とオーロラとアラスカ鉄道_f0113361_18432835.jpg
笑っちゃうよね。『トーキョーのウエガイトシンイチがフェアバンクスからアンカレッジに向かうアラスカ鉄道の旅の道中で広大なアラスカの景色をビデオに収めてるところ。ウエガイトと彼の新婚ホヤホヤの奥さんヨーコはフェアバンクスエリアに新婚旅行に来てた。』いやはやいい思い出でした。髭面の記者のおっちゃんが僕の横で景色撮影しながら「びゅーりふぉー」連発するのがやけに記憶に残ってていまだに声を思い出せるんだなこれが。そんな幸せな旅を終えてアンカレッジからシアトル経由で東京に戻って来たら町屋のアパートが空き巣に入られてたというオチまでついてるけど今では全部新婚のいい思い出でございます。え?空き巣どうなったかって?まあそれはそのうち気が向いたら続編書きますかね。
ともあれあと40分で紅白が始まってあっという間に2022年です。来年こそは楽しいことばかりの一年であってほしいね。また旅行も行きたいもんです。

# by uegaito | 2021-12-31 18:53 | つれづれ

小さい頃住んでた町に行った話を書いたら色々と思い出してきたのでもう少し続けます。これもよくいまだに母が言うんだけど僕はここに住んでた頃に死にかけたことがあったんだって。側溝に体ごとすっぽり嵌って出られなくなってたまたま通りかかったおばちゃんが蚊の泣くような僕の「たすけて〜」という声を聞いて発見してくれなかったら今頃この世にはいなかったって言うんだよね。面白いことに僕はこの時の様子と自分が見ていた情景をうっすら覚えてて周りが草ぼうぼうの側溝に仰向けに寝そべる格好で嵌って出られなくなってたんだった。なんでだっけな。落っこちて怪我してたのかも。記憶の情景では両脇に草があって空が見えてた。溝に水は無かったような気がする。これって何歳だったんだろうな。まあバカだよな側溝にハマるなんて。この頃は生活排水を流すどぶが普通で便所はどこもまだ汲み取り式だったからどぶに流れているのは雑排水ということになる。なのでまあそんなに激しく汚染されているわけではないんだけどまあ汚いわな。月に一回くらい自治会で消毒液を撒いて回ってたもんな。家の前のどぶはせいぜい20cmほどの側溝だけどでんしゃ公園に行く途中にあるうちより新しい住宅団地には幅1mくらいの幅広で深いどぶがあって恐ろしいことにそれと道路との境に柵も何もないもんだから一度(多分一度だけだったとおもう。自信ないけど)自転車ごとこのどぶに落っこちてベソかきながら帰った記憶がある。この時は自転車どうしたんだろうな。自分では持ち上げられなかったと思うんだよな。近くにいた大人に助けてもらったか家に帰って親に回収してもらったか。なんにせよバカだよな。それから2階建ての家に引っ越してから庭に生えてた木に熊手を使って昇ってて途中で熊手が引っかからず頭から落っこちて持ってた熊手がおでこに刺さるという大怪我をしたり下屋だと思うんだけど屋根から落っこちて頭切ったりとにかく頭を縫うレベルの怪我を何度もしたもんです。もうほんとこんな子が自分の子どもだったらハラハラしっぱなしで身がもたないね。両親には本当に迷惑をかけたと反省しています。よくこれで大学まで行けたよって今では笑っていうけどさぞかし大変だったろうと思います。当時狭山にあった祖父母の家に家族で行って一人で泊まれると言い張って両親が帰路に着いたらシクシク泣き出して自宅に戻った途端にまた狭山まで引き取りに帰った父にはもう感謝しかない。当時は携帯なんてないから自宅に戻るまでは連絡取りようがなかったからね。多分狭山から自宅までゆうに2時間以上かかったはず。まあ手のかかる子どもだったと思うよ。だめだまだ終わりそうもない。この話続けます。
# by uegaito | 2021-06-16 15:00 | つれづれ

我が家は小さい頃から結構引越してて今でも小さい頃に過ごした町の断片が夢に出てきたりするんだけど先日ふと思い立って2歳から10歳までの8年間を過ごした越谷市大里の住宅団地に行ってみた。多分30年以上ぶり。ちなみにここに引っ越す前は千葉県市川市に住んでいてそこが僕の出生地となります。2歳半の時にこの団地の平屋の一軒家を父が買って移り住みます。まだ20代後半なのに一軒家を買えたんだからすごい時代だよな。でこの家で幼稚園まで住んでたんだけど4つ下の弟が生まれて手狭になったことでこの家を売って向かいの2階建に買い換えて引越し。昔よく父がこの時の話をするんだけど平屋の家を売ったお金で向かいの家を難なく買えたんだって。出世魚のように家が大きくなっていくなんて今じゃ考えらんないよね。さすが時代は高度成長期だな。この家も4年生の時に妹が生まれてちょうど父の仕事の関係もあって翌5年生の春にこのエリアから一駅北の大泊に引越した。この間正味8年間しかないわけですがなんだか何十年も住んでたかのような記憶なんだよね。とにかくなにもかもが濃密だった。近所づきあいも地域全体で子育てしていたようなほんと昭和の住宅団地でした。道路は建築基準法42条1項ギリギリの4mしかなくて両側はどぶ。住んでしばらくは砂利道だったと思う。小学校の頃には舗装されてブロック塀にボール投げて一人キャッチボールとかよくやってよくボールをどぶに落っことしては平気な顔して拾い上げてクセ〜な〜とか言いながらまた投げて取ってた。どんだけ不潔だったんだろうなあ。でこの前その場所を訪れてみたんだけどとにかくスケール感が不思議というか記憶と比べてとんでもなく小さいわけです。そりゃそうだよね身長100cmそこそこの頃の記憶なんだから。ちなみに当時住んでいた2軒とも今ではもう建て替わって面影は全くなかったんだけど唯一当時最先端のハウスメーカーのに建て替えてたゆうちゃんちがまだそのまま残ってたのは嬉しかった。みんなで遊んだ原っぱはもちろん無くなっててダンボールの家づくりの材料調達で世話になった裏のスーパーマルヤももちろん無くなってた。この当時の複合商業施設には早野凡平が来たんだった。一角の絵画教室に通ったのは3年生だったか4年生だったかの頃。通っていきなりなんかの賞をとって先生に天才扱いされたもんだった。家があったあたりから当時の記憶ではかなり遠出をして遊びに行った公園も今回行ってみたら5分ほどだった。ここは当時丸ノ内線の車両が1両遊具として置いてあったんだよな。もちろんいまはもうない。ドラえもんの世界そのままのように2歳上のHくんと1歳上のIくんが団地内の子どもコミュニティの中で君臨しててよく嫌がらせされたもんだ。あいつら今生きてるかな。この公園でもよくなんやかんややられたよ。忘れないもんだよね。
大里とミヨコの蕎麦屋もないと8年間_f0113361_16332911.jpg
写真はその「でんしゃ公園」に今でも残っていた遊具。あまりの感動に一人で何カットも写真撮ってしまって近くにいた人から変な目で見られた。この滑り台の下でなぜかピンキーとキラーズの『恋の季節』を歌いながら遊んだ記憶がある笑。この公園の近くに駄菓子屋があってよくそこでカード(袋に入った2枚組でたまにラッキーカードと裏に印刷されてるとカードホルダーがもらえるアレ)を買ったよなあ。もちろんそんなお店跡形もなかった。そのほか自転車ごと落っこちた広いどぶも暗渠になってたし申し訳程度に刻みキャベツだけが入ったもんじゃを食べた別の駄菓子屋もどこだかわならくなってた。やっぱりいまもし過去に戻れるならこの時代かなあ。ただしHくんとIくんがいないことが条件だけど。なんにせよここを大人になってから訪れるのは僕にとって大きな懸案事項の一つだったのでこれで満足かな。あとは出生地である市川市菅野を訪れてみたいな。きのみ医院だったっけな、そんな名前のお医者さんが近くにあって赤ん坊のうんちのパターンサンプルが壁に額装してあったという変な記憶があるんだよな。しかしなんだろうね、これってまさか無意識の終活なのか?
# by uegaito | 2021-06-15 16:47 | つれづれ

あと二日で会社にしてから満17周年を迎える。毎年この時期になるたびによく頑張ったと思ってきたけど最近はこんなに長いことやってていったい何をなしたのかという思いの方が強くなる。まあいいや気楽にやろう。生きてるだけで儲けもんだ。さて会社設立記念日は実はこの人の誕生日でもある。コウメさん。なんと後二日で20歳になります。嘘だろおい。もう大学2年生なんだけどコロナと同時に入学だったのでサークル活動が全くなくていわゆるコンパのような青春的な学生生活が送れていないわけです。そんな中でいよいよお酒が飲めるようになるのですがとうとうお酒の提供が自粛ですからね。親としては遠く離れた地で酔い潰されたりしないかという心配がないのはありがたいけど一緒にお酒の飲めるお店に連れて行けないのはとても寂しい。今回ばかりは緊急事態宣言の延長はして欲しくなかったなあ。ところで唯一の希望の星状態のワクチン接種は僕らは年末くらいかと覚悟してたんだけどどうやら7月上旬には1回目ができるみたい。墨田区なかなかいいぞ。ワクチンは副反応とか心配で接種を希望しない人もけっこういるみたいですがイスラエルの感染者数の推移見てるとさすがに効果を信じざるを得ないというか信じますね。ワクチンが一通り行き渡って感染が抑え込まれたその先にはまた2019年以前の暮らしが待っているのかというとしかしやっぱりそれは違うと思うね。我が家としては感染が収まったら次のパンデミックに備えて都内を脱出しておきたいかな。もうこんなリスクばかりの暮らしは結構でございます。地震だって出番を待ってるだろうしね。さてどこに行こうかなあ。
# by uegaito | 2021-05-30 11:21 | 我が家のことですみません

あまりに笑えないことが多く起こりすぎてすっかりブログを書く気を失っておりましたが今日は特別な日なのであと2時間足らずで今日が終わってしまいますがその前になんとか気を取り直して書きます。10年前の今日は建て替えられて新しくなった鮫川村村民保養施設さぎり荘がオープンした日です。つまり今日で新しくなってから丸10年が経ったわけです。いやあ本当に色々ありましたからね。僕にとっては独立して初めての公共建築でしたし何よりこの仕事で耐震偽装事件〜確認申請厳格化による建設不況からその後のリーマンショックと立て続けに起こった消滅の危機を漫画のように脱することができた記念すべきプロジェクトでしたから。この時ほど親分の事務所で修行してて良かったと思ったことはなかったですね。94年のローソン東富士ゲストハウスや98年の日吉メモリアルホール、99年の西京極総合運動公園プール棟といった担当経験がなかったらたった5ヶ月で設計から入札までこなすような仕事はできなった。当時の持てるリソースを全て使い倒した感じだった。2010年3月の議会プレゼンから9月の着工を経て2011年1月には村内の太子講にも出席させてもらってその年の3/15で完成する寸前の3/11に東日本大震災が起こって工期が1ヶ月延長、経費が嵩んで苦しかったけどその間にそれこそ貴重な出会いや体験をさせていただきました。太子講の日は最終高速バスを逃して後藤くんと二人で勿来インター近くのスーパー銭湯に一泊したんだけど3/11にそこが津波の被害雨受けてたのも震災の半月後に現場に向かう途中で勿来や小名浜に寄った時の光景もよく覚えている。とても写真を撮る気にはなれなかったので全く画像は残っていない。それから99年の新しい大学同窓会設立活動で初めてお目にかかって以来常に厳しく叱咤してきてくださった大先輩の橋本文隆さんにようやく僕もこのくらいの仕事をすることができました見てくださいもうバカタレとか言って怒らないでくださいって胸を張って見てもらおうと思ってたのに10年前のほんの数日前お亡くなりになったと中谷さんから電話をもらって言葉を失ったものでした。そして告別式がさぎり荘の竣工式典の29日と同じ日だと聞いて本当に悩んだ。実はそういうこともあったんだよなあ。悩みに悩んで竣工式典に出席して村長や村議会議長に並んで独立して初めてテープカットをさせてもらいました。さぎり荘のキャパ設定は1日80人年間1万人くらいの利用を想定してまして、だって建て替え前のさぎり荘は1日の利用者が十数人という状況でしたからあまりかけ離れた設定するとオーバースペックになると思ってましたから。それが蓋を開けて見たら1日で200人超える日もざらにあるような村内きっての人気施設になりました。近隣市町村からの利用者が多いというのもちょっとした自慢です。県の建築文化賞もいただきました。賞をもらったらお祝いしようって村長約束してくれてたのに結局未だ実現せず。まあ村は本当に色々大変でしたからね。そんなさぎり荘が今日で満10年となったと。今日はなんとしても鮫川村に行って建設に際してなんども打合せをした当時の村長や役場の皆さん方、設計を通じて親しくなった村民の方々にもお会いしたかったんだけどまた感染が拡大してきている東京からのこのこ行くわけにはいかず。せめて気持ちだけはとお祝いのお花を贈らせていただきました。これからも末長くみなさんに愛される施設であってほしいと切に願う次第です。コロナのバカヤロー。そしてあとひと月あまり後にはコウメさん20歳が控えております。乞うご期待。
# by uegaito | 2021-04-29 22:41 | 建築
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