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北緯40度とたつこと大陸

もうひと月前になりますが浅草の仲間と秋田に行きまして、あまりにいい写真が撮れたのでこちらにも記録しておきたいと思います。グループ名は結局決まりませんでしたが写真がジャケ写のようなカッコ良さなもので、それぞれ1stシングル、2ndシングル、3rdシングルのつもりでFBにアップしたところ、意外と「いいね!」が伸び悩んだのも今となっては良い思い出です(苦笑)。「いいね!」1つを1万枚として12/27付けの売上を見てみましょう。
まずはデビューシングル『北緯40度』。偶然撮れたカットだったんですがそれぞれがかなりいい味出してて本当にデビューしてしまいそうに見えます。撮影地は男鹿半島入道崎。89万枚。
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続いて2ndシングル『たつこの女〜たつこがいなくって』。この辺りでメンバーそれぞれのパートが固定されます。狙いすぎて何回か撮り直しました。でもまだキレキレです。特にフロントの二人。撮影地は田沢湖。86万枚。
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そして惜しまれつつラストシングル『車内案内のひと』。前2作と比べると写真もタイトルも切れ味が大幅に鈍ってます。がっかり感が伝わると取りあえずOKです。撮影地は秋田駅新幹線ホーム。66万枚。飽きられている感じです。
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皆さん浅草を代表する老舗の経営者たち、さすが演技もサマになっております。いやしかし楽しい二日間でした。
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by uegaito | 2014-12-27 13:07 | つれづれ | Comments(0)
世の女性の眉がどんどん太くなってますね。良い傾向だなあ。思えば僕はイデオンとかダンバインに出てくる太い眉の女性キャラが大好きでした。ええまあオタクだったのかも知れません。高校生の頃だしね。いいじゃないの。女性の眉が太くなると景気が良くなるとかなんとかって話もあるようですがまあそんなことより好き嫌いの問題なわけです。だから結婚した20年前くらいのあの完全に一旦剃って線を引き直したようなほっそいほっそい眉がたまらなく違和感でしたね。眉は口ほどに物を言い・・・ませんが、やっぱり意志の強さみたいのの象徴つうか気の強い女性が好きなのかね。と書きながら色々考えましたが、僕は細い眉の方が気の強さを感じて苦手だったんだって気がつきました。つまり太い眉に優しさや柔らかさを重ねて求めていたんだなあ。おいどっちなんだよいったい。でも細い眉に慣れると今度はバブルの頃の映像見て笑ったりね。ほんとどっちなんだお前は。ていうか昔のマンガのキャラはみんな眉が太かった。矢吹丈もゴルゴ13も剣崎順も高嶺竜児も支那虎一城も香取石松も影道総帥もって後半全部リングにかけろ!じゃんか。しかもいつの間にか男の眉になってるし。そう言えばリンかけなんか大変わかりやすいサンプルだけど、男性ホルモンの象徴が太い眉毛でその反対は細い眉で女性性を表現したって感じでしたね昔のマンガは。なよっとしたイメージで美少年を表現する時は河合武士みたいに眉を細くするのね要するに。ヒールは眉毛がないとかね。キャラ設定する上ではかなり記号的な役割だったね。何の話してんだろね。そのくらいリンかけが好きなんだってことですかね。要するに眉は太くしようぜみんな!と、生まれつき眉の薄い僕は思うのでした。そういえばコウメもハッパも一時は繋がるんじゃなかろうかってくらい眉が毛深かったですが最近はそんなことなくなったね。さすがに太いのと一本眉とは違いますからね。太くて一本眉はもっと違うから。そういうことで。
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by uegaito | 2014-12-16 22:32 | つれづれ | Comments(0)
『デッドマン』読了。かなり面白かったですよカワカミさん!作者のプロットの巧妙さにすっかりやられた感じです。空恐ろしくそして「度肝を抜く結末」は何とも悲しいものでした。しかしこれが実際にあった話をベースにしているとしたらとんでもなく怖いですね。怖すぎ。これは映像化するのは難しいだろうなあ。ところで10月に健康診断を受けまして、って随分話が飛びますが、結構いろんなところで「要精検」打たれました。それで三井記念病院に精密検査を受けに行ったところ先日その結果見事に禁酒を言い渡されました。辛い。辛すぎる。この時期に。みんな良い感じで酔っぱらってるんですよ電車の中でも。次の検診は3月。それまでどこまでアルコールを断てるのか、乞うご期待ってところでしょうか。他人事じゃないっての。そういうことで。
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by uegaito | 2014-12-11 22:35 | つれづれ | Comments(0)
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唐突ですが、漫画家の松本零士さんにお会いしました。日本建築家協会(JIA)トーク委員会主催のJIAトークで講演をされまして、自宅に眠っていた『銀河鉄道999』の第1巻を携えて聴きに行ったわけです。多くの同世代男子がそうであるように僕の小学校〜中学校の大部分は松本零士と藤子不二雄でした。ちなみに無類のマンガっ子だった僕は小学校高学年あたりから少年誌→青年誌と何種類もの漫画雑誌を毎週買い続けるというひたすらマンガ漬けの半生を送ってきたわけですが、まさにその出発点が『少年キング』に載っていたこの『銀河鉄道999』だったわけです。断片的ではあるけど本屋さんで『少年キング』を立ち読みしてあまりの衝撃に生まれて初めて自分の小遣いで買った単行本が『999』の1巻だった気がする。冒頭いきなり美しいお母さんが殺されて剥製にされちゃうんだもの、衝撃だよね。その作者の松本零士さん、数年前になんだかお騒がせしてたような記憶もありますが実物はやっぱり面白かった。何というか淡々と手元の作品を書画カメラで写しながら次なら次へと話が飛ぶ飛ぶ。途中何度も話が見えなくなりましたが近所のおじいさんのおうちに行ったら話が止まらなくて帰るに帰れなくなった、という感じの講演会(?)でしたね。とっても地球のことを心配されていて、世界の国々は戦争をしている場合ではない、地球はこのままでは滅亡してしまうから手を携えて「地球人」として未来を子ども達に繋げていこうと。子ども達はバトンを渡されて未来を開いていく大切な宝なのだから可能性の芽を摘むようなことを大人がしてはいけないと。2番ではいけないんですかと聞いたバカな政治家がいたが1番を目指して2番になるなら仕方ない、最初から2番を目指したらどうなるかわかってるのかと。18歳で上京して売れない時代が続き何ヶ月も風呂に入らずいんきんたむしになったが薬局で勧められて買った薬ですぐ治ったのでその話をそのままマンガに(『男おいどん』)描いたらブレイクしたと。おいどんはそのまま自分で、何週間も履いたパンツを洗わずに押入にどんどん突っ込んでいたらキノコが生えたと。牧野富太郎博士の植物図鑑を見たら「食」と書いてあったのでそのキノコをラーメンに入れてちばてつやさんに食べさせたら美味しそうに食べたと。ちばてつやさんは松本さんのお話しに何度も出てきました。松本さんの茶目っ気の犠牲者として。まあどこまで本当のことかなんて野暮なことは言わないものです。存在自体がマンガのような方でした。零士というペンネームは「零=ゼロ=無限」の「サムライ」でありたいという思いでつけたそうで、だからなのか話が無限に止まりそうもなかった。司会がおろおろしながら何度も終わりにしようとするのだけどその都度また新しい話を始めてしまうので予定時間を30分くらい軽く過ぎてました。質疑を会場から求められて思わず手を挙げて、『999』の1巻を見せながら、僕の造形の根底にはこれがあると言ってしまいました。ほんとかよ。その後サイン希望者に応じてくれて、僕はその1巻に書いてもらいました(写真下)。実のところ自分でもこんなに嬉しい気持ちになるとは思ってませんでしたね。なんというか子どもの頃に出会ったものごとってのはその後に培ってきた理性を簡単に突き破るんだなあって実感したね。ところで僕は松本零士さんて戦争が好きなのかとばっかり思ってました。恐らくそう思ってる人けっこう多いんじゃないかと思いますが、これは思いっきり真逆の誤解でした。8歳で終戦を迎えた松本少年は戦中戦後の悲惨さを嫌というほど体験され、もう二度とこのような戦争をしてはいけないと思ったそうです。そういう反戦の思いを実は『宇宙戦艦ヤマト』や『キャプテン・ハーロック』『宇宙海賊クイーンエメラルダス』そして『銀河鉄道999』に込められていたのだそうです。そう思うと『ヤマト』での一連の騒動も腑に落ちる面がある。『さらば宇宙戦艦ヤマト』で冒頭、何万人という観衆の前で地球大統領(?)が新型戦艦「アンドロメダ」を披露するシーンがあって、僕はこれがどうも違和感あったんだよね。完全に戦争礼賛に見えたから。だから多分これはもう松本さんの手の及ぶ範囲を超えて異論も挟めなかったんだろうなあと思いますね。そんなどうでもいいことをふと思いつつ天高く馬肥ゆる秋の抜けるような晴天の祝日に一人仕事する父を許せ娘たちよ。地球のためだ。そういうことで。ごきげんよう。さようなら。
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by uegaito | 2014-09-23 12:05 | つれづれ | Comments(0)
1965年の明日、僕は市川市で生まれました。生まれたときしばらく左目が開いておらずかなり両親を心配させております。その後49年間続く、両親に心配かける人生の最初の一発はウインクの練習でした。命名は父方の祖父で、知り合いのお坊さんにたくさんリストアップしてもらった中から「伸一」を選んだって聞いてます。当時の写真を見ると体が小さかったからかそれともただ単に両親の願望からか数年はまるで女の子のような格好で育てられたようです。髪型もおかっぱだった気がする。4歳の時に弟が生まれてくれなかったら今頃どうなっていただろうかね。父方は既に僕の上に3人の従兄姉が生まれてたので恐らくそんなでもなかったろうけど、5人兄弟の第一子長女だった母の方は初孫でしたので当時熊本にいた祖父母は相当喜んだことだろうと思います。というかそうであって欲しいというか。なんにしても相当可愛かったであろう赤ちゃんが49年も経つとこんなおっさんになってしまうとはね。気持ちはいつまでも可愛い赤ちゃんなんだけどね。うそですからね。そんなことばっかり言ってるからいつまでも両親に心配かけるんだよな。49歳の時の父はと言えば30年ほど勤めた会社を辞めて自分で不動産業を始めた頃かな。息子である僕は大学院に進学してたね。僕とは全然違うね。父は自分も起業してるからきっと僕の独立に対しては反対は無かったんじゃないかね。よく、何で跡を継がなかったのかって聞かれるんだけど、そりゃ無理ってもんです。父と僕とでは全くと言っていいほどキャラが違います。会えば納得してくれることでしょう。敵に回したらこれほど厄介な人はいないんじゃないかって未だに親子で良かったって心底思いますもん。だけど家では甘々でして未だに母には勝てないけどね。母は肥後もっこすって言うんですかね、気丈な人でして、僕ら子ども達にとってはむしろこちらの方が怖かったですね。ちょっと悪さするとフトンタタキで太股を叩かれてみみず腫れなんてのはしょっちゅうでした。ううむ話が収拾つかん。オチが思いつかないというか。まあとにかく60歳までようやくあと11年だ。そういうことで。ごきげんよう。さようなら。
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by uegaito | 2014-09-03 18:52 | つれづれ | Comments(0)
改めて最近の投稿を読み返してみたらなんだか雑な文章ばっかりだなあと我ながら呆れる。書き出しで同じこと書いてたり。だめだなあ。ブログ始めた頃の切れ味が無くなっちゃったかね。そんなの元々無かったってか?まあね、あれですよね、本当に思ってることや悩んでることなんてこんなところで書けないからね。人知れず悶々とするしかないわけです。明後日は某所でプロポの2次審査。ヒアリングでございます。今度こそ、今度こそって何度思ったことか。しかし今度は違うぞ。今回の案はかなり良い。間違いない。果報のはずです。ところで4年前から使っている一張羅のカバンがチャックぶっ壊れて閉まらなくなってしまった。カミさんからのプレゼントなのに壊してしまってごめんなさい。そんで一張羅ってことは他には持ってないってことですからね、やむを得ず急遽家にあったくまモンのトートバッグで出勤しております。昨日なんかそれで確認審査機関に打合せに行っちゃったし。いいのかね。早く新しいカバン買わなきゃね。それにしてもいまくまモンのトートバッグってのをリンク貼って説明しようと思って公式サイトを探したらなんとグッズの多いことか。夥しいという言葉がぴったりです。ゆるキャラって当たるとこんなに美味しいのか。そりゃあ誰も彼も頑張るわな。いい加減辟易してきたのもあるけどこのゆるキャラって結構危険だと思うんだけどね。特に非公認のやつ。そこいらへんにへんてこな着ぐるみ着てうろうろしてても誰も何も思わなくなってきてるってのは中にどんな変な奴が入り込んでるかわからず野放しにしてる可能性があるってことで、そのうち事件が起きるんじゃないかなあと思うんだけどね。よい子のお小さい方々は変なの見たら近寄らないようにしようね。そういうことで。ごきげんよう。さようなら。
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by uegaito | 2014-08-28 20:27 | つれづれ | Comments(0)
いやはやこれだけサボるともう何からどう書いて良いやらで余計に手が止まってしまう悪循環に陥ってしまいました。あまりこれまで経験したことのない山が次から次にやってきてそれを必死に乗り越えてるうちに1ヵ月経ってしまったというか。7/2に浅草法人会の月例セミナーであろうことか講師を務めることになったことは以前書いたのだけどこれが思いのほかしんどかったわけです。建築の話ばっかりでは興味が限られてるだろうし、しかしそれしか話すネタないじゃんとも思うしでとにかく直前までネタの準備に追われ、一方で原稿締め切りが重なったり翌日には別の会合で司会を務めなければならなかったり。過ぎてみればよくまあ乗り切ったというか。そんな感じで講演では「三方良し」と「サステイナブル」をキーワードに松根屋さんと鮫川村の話をさせて頂きました。結局好きなこと、信じてることを話すのが一番間違いないなと。この日次女を連れて会場に聴きに来ていたカミさんに感想を聞いたら、でも結局建築のスライドを見せている時が一番皆さん起きていた(え?)というので、もっと色んな建築の話をした方が良かったのかなとか、話がくどくて眠かっただろうかとか、色んなことを考えてしばらく自己嫌悪の嵐の中にいたわけです。そんななか有難かったのが地元の同世代の仲間の皆さんが大勢来て下さったことですね。これは本当に涙ものでした。蔵前に事務所を構えて10年経って、一番の宝物はこの皆さんとの関係ですね。本当に有難いことです。司会の中江さん、青年部会の河原部会長目谷幹事長涌井直前部会長松澤さん植木さん隆夫さん高安さん町田さん慶大さん佐久間さん清水さん田中さん牧さん、鳥海さん、山本さん宮崎さん、青木さん、和田さん、那賀島さん、遠山さん冨田さんそしてこの日の感想をがっつりご自分のブログで紹介して下さった住吉さん、それから梅本さん佐藤さん須藤先輩元井先輩どうも有り難うございました。それからそれからわざわざ遠くから来てくれた野崎さんにカワカミさんもありがとう。その他、わざわざこんな僕の話を聴きに来て下さった皆さんどうも有り難うございました。この10年色々大変だったというか今でも大変なんだけど、それでもここで頑張ってて良かったとつくづく今頃言いますがじわじわ思う酷暑日の夜でした。こんな感じでブログ再開できるかな。
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by uegaito | 2014-08-06 20:58 | つれづれ | Comments(0)
春を飛び越えて梅雨入りしたと思ったら真夏とゲリラ豪雨を繰り返すような毎日にすっかり身体が参ってしまったみたい。全然能率が上がらない。さてもう既に2日前になってしまいましたが、先日大学で大変お世話になった安藤正雄先生の定年退官記念パーティが都内でありました。その会に安藤研でもなんでもないのにお邪魔して参りましたわけです。遡ること30年(苦笑)、大学に入った僕は建築学科というのは設計の勉強をするところだと思っていたので1年生の実習が図学という製図法の課題ばかりなのが好きではなくてあまり熱心に勉強してなかったのでした。最初の2年間は教養課程が主体で専門の授業がほとんど無かったのもそういう気持ちを強めてしまったんじゃないかな。そんななかで2年生になって少しずつ設計課題が始まって、最初に設計の面白さを実感したのが、この安藤先生の課題だったんです。なんだか色々見聞きするのがとても楽しくなって、先生の研究室にお邪魔して洋書の建築写真集とか見せて頂いて、多分この時に今の僕の人生が決まったんじゃないかと思うんですよね。そのくらい僕にとってはインパクトの大きい先生でした。ああそうか、今思えば僕の非常勤講師としての学生に対する振る舞いのモデルは安藤先生だったんだなと気づいた。少し服部先生も混じっているけど。この後更に何人もの素晴らしい先生に出会うわけですが、初めてという意味で安藤先生は特別な存在なわけです。なのに安藤先生の研究室に入らなかったんだよね。一昨日のパーティの祝辞で現千葉大教授の柳沢先生がうまいこと言ってた。憧れの先生のところには行かないで遠目で眺めているのが女子的にはいいんだと。まあ僕もそんな女子的心境だったのかもね。その後卒業して就職、転職をした際に、親分ととても親しい関係にあることがわかってまた安藤先生と距離が縮まり、独立してすぐ母校の非常勤にさせていただいたときもよく声を掛けて下さって毎年蔵前で食事会をした時期もありました。パーティではみんなに向かって、寂しがり屋だからこれからも遊んでね、なんておっしゃってたけどそうそう気軽に飲みに行きましょうなんて言えないよな。また蔵前に来て下さるかなあ。そうだといいなあ。
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by uegaito | 2014-06-10 19:42 | つれづれ | Comments(0)
昨日3/31を以てスタッフとして4年半支えてくれた北脇将史君が事務所を退社となり最後に浅草にて大勢の皆さんに見送られました。この5年ほどは僕自身が内面と向き合いつつ色々藻掻き過ごしていたので事務所の内側にまで目配りする余裕が無く彼にはかなり気の毒な思いをさせてしまいました。そんななかひたすら献身的に支え続けてくれたこの若者には感謝してもしきれない。だから僕としてはせめて次の展開を希望する彼を気持ちよく送り出してあげたいと思います。建築は一人ではつくれないし一人の才能でどうにかなる時代ではないから、自分のポジションをよくよく見いだしてどういう風にチームそして社会に貢献できるかを是非これからも考えていって欲しいと思います。なんてね。
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多忙な中を集まってくれた清水さん、棚瀬さん、鈴木さん、村角さん、苗代さん、野田さん、平田、後藤君、染谷君(写真どうもありがとう)どうも有り難うございました。最高の門出となりましたね。さあそして今日からはお互いに再出発です。
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by uegaito | 2014-04-01 11:23 | つれづれ | Comments(0)
浅草ゆう子さんのお話しを聴きました。浅草法人会の月例セミナーです。とても有名な方ですのでこれ読んでらっしゃるあなたもご存じだと思いますが、お生まれは大正12年、御歳91歳の現役芸者さんです。16歳で花柳界にお入りになったとのことで、今年で75年間芸者さんされてるわけです。あの町田先生ですら教師生活は25年ですから、なんと町田先生の3倍、どれだけすごいかがわかろうというものです。正直言って91歳には見えません。和服をきっちり着こなして椅子に座っている時も背筋がピンとしていてお話しもしっかりはっきりしてます。ちなみに歯は全部ナチュラルだとのことです。だから入れ歯の方独特の歯切れの悪い発話にならないんですね。とても聞き取りやすいお話でした。毎日卵がけご飯と焼き海苔を召し上がり、砂糖4杯入れたコーヒーを嗜み、冷やしたバターに海苔を巻いて食べるのがお好きで、なんと言ってもお肉が大好き。しかも牛肉の切り身のみ、ハンバーグなどミンチ肉はダメなんだそうです。お魚は苦手なんだとか。普通、健康に気をつけて我慢するものばかり好んで食べているようですね。長生きの秘訣は我慢しないことなんでしょうかね。いつも穏やかで怒ったところを見たことがないと、一緒に登壇してインタビュワーをされた浅草乃り江さんがおっしゃってました。嫌なこと気に障ることを言われても2〜30分で忘れてしまうんだそうです。それが穏やかさの秘訣だとか。いやいや言うのは簡単ですが普通怒りますでしょう、って言い返して、そんなことないですよなんて返されて、いやいやそんなことはないでしょう、ってまた言い返してってしつこくやってたらそのうち怒るかしら。すみません冗談ですから。同世代の女性のことを、普通の方は地味ですね、あたしよりずっと年寄りに見える、ってけらけら笑いながらおっしゃってました。確かに。いつも懐に「余生は丸くつややかに」と書いた紙を持ち歩いているそうです。この「つややかに」ですつまり。この方には「おばあさん」という呼称は全く当てはまりません。関東大震災も太平洋戦争も東京大空襲も朝鮮特需も高度成長期も64年東京オリンピックもバブルもバブル崩壊も失われた20年も経験され、きっと2020東京オリンピックも経験されるでしょう。あたしは年上の男性が好きなのよだそうです。この世の中にしゃきっとしてゆう子お姐さんの相手ができる年上の男性はなん人いるんでしょうね。お話しだけでもかなり面白かったですが最後に小唄を披露下さいましてこれがまたカッコ良かったんです。三味線をつま弾きながら粋に唄う姿に会場の100人がすっかり魅了されていました。とてもいいセミナーでした。さすが浅草の法人会だなあ。そう言えば宝船熊手のよし田さんの大おかみさんも同い年くらいじゃなかったかしら。あの方も数年前に大病されたけど去年の酉の市ではすっかり元気になってらっしゃった。ただひたすら尊敬です。こちらもいずれお話しを聴いてみたいですね。
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by uegaito | 2014-03-13 19:50 | つれづれ | Comments(0)

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