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大里とミヨコの蕎麦屋もないと8年間

我が家は小さい頃から結構引越してて今でも小さい頃に過ごした町の断片が夢に出てきたりするんだけど先日ふと思い立って2歳から10歳までの8年間を過ごした越谷市大里の住宅団地に行ってみた。多分30年以上ぶり。ちなみにここに引っ越す前は千葉県市川市に住んでいてそこが僕の出生地となります。2歳半の時にこの団地の平屋の一軒家を父が買って移り住みます。まだ20代後半なのに一軒家を買えたんだからすごい時代だよな。でこの家で幼稚園まで住んでたんだけど4つ下の弟が生まれて手狭になったことでこの家を売って向かいの2階建に買い換えて引越し。昔よく父がこの時の話をするんだけど平屋の家を売ったお金で向かいの家を難なく買えたんだって。出世魚のように家が大きくなっていくなんて今じゃ考えらんないよね。さすが時代は高度成長期だな。この家も4年生の時に妹が生まれてちょうど父の仕事の関係もあって翌5年生の春にこのエリアから一駅北の大泊に引越した。この間正味8年間しかないわけですがなんだか何十年も住んでたかのような記憶なんだよね。とにかくなにもかもが濃密だった。近所づきあいも地域全体で子育てしていたようなほんと昭和の住宅団地でした。道路は建築基準法42条1項ギリギリの4mしかなくて両側はどぶ。住んでしばらくは砂利道だったと思う。小学校の頃には舗装されてブロック塀にボール投げて一人キャッチボールとかよくやってよくボールをどぶに落っことしては平気な顔して拾い上げてクセ〜な〜とか言いながらまた投げて取ってた。どんだけ不潔だったんだろうなあ。でこの前その場所を訪れてみたんだけどとにかくスケール感が不思議というか記憶と比べてとんでもなく小さいわけです。そりゃそうだよね身長100cmそこそこの頃の記憶なんだから。ちなみに当時住んでいた2軒とも今ではもう建て替わって面影は全くなかったんだけど唯一当時最先端のハウスメーカーのに建て替えてたゆうちゃんちがまだそのまま残ってたのは嬉しかった。みんなで遊んだ原っぱはもちろん無くなっててダンボールの家づくりの材料調達で世話になった裏のスーパーマルヤももちろん無くなってた。この当時の複合商業施設には早野凡平が来たんだった。一角の絵画教室に通ったのは3年生だったか4年生だったかの頃。通っていきなりなんかの賞をとって先生に天才扱いされたもんだった。家があったあたりから当時の記憶ではかなり遠出をして遊びに行った公園も今回行ってみたら5分ほどだった。ここは当時丸ノ内線の車両が1両遊具として置いてあったんだよな。もちろんいまはもうない。ドラえもんの世界そのままのように2歳上のHくんと1歳上のIくんが団地内の子どもコミュニティの中で君臨しててよく嫌がらせされたもんだ。あいつら今生きてるかな。この公園でもよくなんやかんややられたよ。忘れないもんだよね。
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写真はその「でんしゃ公園」に今でも残っていた遊具。あまりの感動に一人で何カットも写真撮ってしまって近くにいた人から変な目で見られた。この滑り台の下でなぜかピンキーとキラーズの『恋の季節』を歌いながら遊んだ記憶がある笑。この公園の近くに駄菓子屋があってよくそこでカード(袋に入った2枚組でたまにラッキーカードと裏に印刷されてるとカードホルダーがもらえるアレ)を買ったよなあ。もちろんそんなお店跡形もなかった。そのほか自転車ごと落っこちた広いどぶも暗渠になってたし申し訳程度に刻みキャベツだけが入ったもんじゃを食べた別の駄菓子屋もどこだかわならくなってた。やっぱりいまもし過去に戻れるならこの時代かなあ。ただしHくんとIくんがいないことが条件だけど。なんにせよここを大人になってから訪れるのは僕にとって大きな懸案事項の一つだったのでこれで満足かな。あとは出生地である市川市菅野を訪れてみたいな。きのみ医院だったっけな、そんな名前のお医者さんが近くにあって赤ん坊のうんちのパターンサンプルが壁に額装してあったという変な記憶があるんだよな。しかしなんだろうね、これってまさか無意識の終活なのか?
by uegaito | 2021-06-15 16:47 | つれづれ
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