2020年 04月 17日
ポスト新型コロナの世界とコモンととぼけられず
建築設計を学び実践する人々の根源的な善なるものは「共」すなわちコモンじゃないかと思うのですがその根底には近代合理主義というか共有することが合理的だという誰もが疑うことのない暗黙の了解みたいなものがあると思う。その端的なかたちへの表れが集合住宅だったりしてさらにその究極的な合理性重視の状態がシェアハウスだったりコレクティブハウスだったりするんじゃないかと思うんです。都心居住などの限られたスペースや経済的な理由で「個」の空間は徹底的に最小化されてその省いた分を寄せ集めたコモンスペースという共用空間の充実を図るという住まい方が合理的として歓迎されてました。僕もその通りだと信じて提案してきたこともなんどもあります。しかしこの新型コロナウイルスはそういう人間が一所懸命考え出した共有という合理的な考え方をいとも簡単にぶち壊してくれようとしています。コロナ以前の世界にはもうそう簡単には戻れないと言われ始めました。共用するということはすなわち自分でない誰かと接触する可能性があることを意味しています。外出自粛とはできるだけ自分以外の誰かとの接触を最小限にとどめることを目的とします。建築の考え方、コミュニティの考え方を根本から考え直し構築し直さないと今のありようは早晩大勢の精神の崩壊を招きかねない状況だと思います。これからしばらくいつものとぼけたブログを中断してこの深刻な問題について考えていきたいと思います。だから「そういうことで」も「どんどはれ」もありませんので。
by uegaito
| 2020-04-17 19:27
| つれづれ