極めて散漫なこのブログ、シリーズなの?と思わせて途中で放置って話がいくつもあるんですが最近では一時キッスの話をわーっと書いてぱたっとやめてたりしてます。で、その話を再開するのかと思いきやそうではなくてですね、
大学入学してエレキギター買ってバンド始めたって書きかけてやめてるのでその話を続けたいなと。18歳でグレコのジョンサイクスモデルの黒いレスポール買ってオレもエースみたいに弾けるようになるぜ〜って練習したんですけど時代はヴァンヘイレンを筆頭に速弾き&タッピング全盛期、戸惑ってるうちに幼なじみのタブキンがいとも簡単に速く弾くもんだから僕もいとも簡単に諦めましてすぐにベースに転向しました(笑)。で二人でバンドやろうぜということでメンバーを探しまして、まあここから先は色々あったのでいちいち書きませんが大学最初の年はキッスやラット、モトリークルーといった当時のヘビメタコピーバンドをやってました。最初に買ったベースはアリアプロIIのショートスケールでしたね。なんでだろ。手が小さいことを気にしてたのかな。でまあヘビメタなんですがこれが割とヴォーカルが難しいようなんですね。確かにみんな高音シャウト系でしたから普通の男子にはとても歌えなくて女子に歌ってもらってたのですがそのうちだんだんもう歌いらねんじゃねみたいな気分になってきてフュージョンに手を出すことになります。ちょうどまたこれが時代はNHKで
ベストサウンドなんかが始まったりしてヘビメタとフュージョンの垣根がぐっと取り払われた時期だったってのもあるんだろうね。元々浜田麻里姐さんにハマってそのバックで激しいベース弾いてるの誰この人って感じで
鳴瀬喜博先生と出会ってしまったこともあってアリアプロIIのショートスケール弾いてる場合じゃないぞこりゃって今でも使ってるアイバニーズのスペクターっぽい形のモデルに買い換えてチョッパーとかやり始めたわけです。でバンドもギター・ベース・ドラム以外を一掃してギターとキーボードが加わった男ばっか5人編成でスクエアとか高中とかやるようになっちゃって。大学3年の秋までやってたんだけどその頃から専門科目もどんどん課題が大変になってくるわ設計事務所でのバイトも楽しくなってくるわでバンドどころじゃなくなって確か1986年の成蹊大学の学祭で演奏したのを最後に解散。32年も前ですね。その後はバンドを組むこともなくぼけ防止と気分転換に軽く弾くくらいになって今に至ってるわけですがここにきてなぜか急にバンドすることになりました。30年振りですからそら大変です。楽譜どころかタブ譜見てもさらっとは弾けなくなってますからね。ああもうこんなに長文になってしまった。今宵はここらでよかろうかい。よくない?すみません必ずこの先は書きますので。