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震災から6年と理科教育の敗北と安心無間地獄まっしぐらはやだね

もうすぐ東日本大震災から6年経ちます。もちろん忘れたことなんかないけどやっぱり段々記憶が薄れていくのが自覚されますね。あの時は竣工目前だった福島県鮫川村の村民保養施設さぎり荘の現場がそれ自体は地震の影響は無かったものの福島県内でガソリンが大幅に不足して工期を1ヶ月延長することになりました。実は前月末で常駐宿も引き払って後始末を始めた直後だったので1ヶ月とは言え延期するのは実は経済的にかなり痛かったですね。自然災害だからもちろん発注者のせいにすることもできず一方的にお金が出ていくのが、被災した皆さんの苦労からすればほんの些細なことなんだけどやっぱりきつかったのを思い出します。震災後僕らが現場に行ったのは3月の終わりに近づいた頃だったと思います。車で東京から常磐道を向かっていつもは勿来で西に行くのだけどこの時は小名浜に寄りました。写真を撮るのがあまりに気がひけて結局この時の記録は全然無くて様子もほとんど思い出せない。だけどはっきり覚えているのは信号機のついた電柱が道路に沈み込んで異様な光景だったことと、対照的に海が穏やかだったこと。鮫川村では元々常駐宿としてひと間をお借りしていた山王の里がいわきから避難された方々を数家族受け容れててそれを村のボランティアの方々がお世話してた。その中の一人、大平さんにはその後数ヶ月僕らは大変お世話になることになるのだけどその大平さんも数年前に突然亡くなってしまった。思えばさぎり荘の設計をするちょっと前にまだ幼稚園を卒園したばかりのハッパを連れてちょうど今頃村を訪れた際にも大平さんちにお邪魔してたんだった。縁を感じますね。話を避難所になった山王の里に戻すとこういう時の男女のキャパシティの差というかそういうのを感じることがありました。お父さんたちは避難所ではお酒を飲んじゃいけないというこもあり相当なストレスを抱えていて弱っている感じだったんだけど対照的にお母さんたちの気丈さというかこんな状況だからこそとばかりに元気に笑って動き回ってたのがとても印象的です。この時初めてイチゴの美味しい食べ方を教えてもらったんだった。3.11の翌日に起こった原発事故も60km以上離れたこの村には直接影響ないねなんてこの頃は言ってたけど実はその後それなりに風雨の影響で汚染されていることがわかって農業が立ち行かなくなったりその事態を早く打開しなければと焦ることがかつてない混乱を村に招いたり。いま豊洲市場と築地移転問題で起こっていることの原型はこの村で起こったこととすごく重なる。東京から騒ぎに来ていたメンツもほとんどかぶりそうだし。震災というより原発事故さえなければ全国ひょっとしたら世界中から注目されたかも知れない素晴らしい取組みをしていた鮫川村なだけに早く元に戻って欲しかったですね。福島県産の食材に対する風評被害にはまだ幼かったコウメやハッパも彼女たちなりに憤って作文にまで書いてたことも今となっては懐かしい話です。そういえば先日石原元都知事が豊洲の件で記者会見してて「科学か風評に負けるのは国辱」って言ってましたけど本当にそう思う。福島に対するこの国の「普通の人々」のバカさ加減には心底ウンザリしています。理科教育の敗北くらい言ってもいいと思うね。3.11というより3.12はこの国のそういう情けない部分をすっかり炙り出した気がします。
by uegaito | 2017-03-11 11:33 | つれづれ

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