『あまちゃん』が終わって4ヵ月。次の『ごちそうさん』結局毎日観てしまってますがどうも僕は西門悠太郎が苦手です。演じている俳優さんの問題ではなくキャラクターとしての悠太郎が苦手なわけです。建築設計者がなんで土木領域の地下鉄工事に関わっているのかという細かい話は置いておいて(物語の頃の昭和初期は一緒くただったのでしょうかね)あのあまりに安全安心を熱を込めて言い過ぎるのが辛いんです。物語では彼がそうなった背景が説明されているのでそれ自体には文句なはないんですけど、この「西門悠太郎的なるもの」に対する違和感がずっと昔から僕にはあるせいで、一種のアレルギー反応を起こしているんだと思います。技術者って正しいことしか言いません。もちろんそれでいいんです。けど全部それだった結果が例えば僕らが育った頃の寒々しいコンクリートの箱な小学校校舎だったりするわけで、正しいことだけでは建築はやっぱりダメなんですよね。西門悠太郎の安全性に対する熱意は単なる感情の暴走だよ。ついでに書いておくと竹元勇三はイタ過ぎます。ああいうのも建築家に対する偏見を助長されそうで嫌だなあ。ドラマをわかりやすくするためとは言え、両極端なのを僕の専門の世界で描かれるのはたまらん。情熱的なのって理系っぽくないので、悠太郎熱くてかっこいい、ってなるのかも知れないけど、それは大きな誤解です。有能は建築家はパッションを以て人々に感動を与えるのだと、かの大御所高橋てい一先生(90歳)はおっしゃった。パッション。僕(48歳)が思うに、理性で制御された情熱的感情、とでも言いましょうか。単なる熱意だけでは正しいかも知れないけど押しつけにしか見えない。理屈だけでは見る人の心に訴えかけることはできない。冷静な知見と先見に裏付けされた意見を感情を込めて相手に伝えることのできる人が大きなものごとを動かせるんだと思うんですよね。政治家も同じかもね。該当者が極めて少ないのも似てるかもね。とにかく僕(48歳)もパッションな建築家(なんだそりゃ)を目指して頑張ろうと思ってますから西門君もどうかひとつよろしく。竹元君は大いに反省して下さい。