2025年 12月 31日
ウエガイト建築設計事務所のWhat's New

鮫川村村民保養施設さぎり荘(2011)撮影;傍島利浩
NASCA+Partnersとして設計に参加した同志社香里中学校・高等学校メディアセンター繋真館が2023年日本建築学会作品選奨に選ばれました。筆頭設計者の八木佐千子さん、構造設計者の満田衛資さんと連名でいただきました。
浅草橋の老舗扇子店松根屋店舗の写真をアップしました。(2014.9.4)
アイデアコンペ第2回SRF賞専門部門佳作を頂きました。(2014.3.15)
村民保養施設さぎり荘が第30回福島県建築文化賞復興賞を受賞しました。(2013.12.21)
雑誌KJ2013年12月号に前田産科婦人科医院が掲載されました。(2013.11.15)
最新作Lebenschaft Projekt完成披露会のお知らせをアップしました。(2013.10.26)
近作悠楽里えどがわエントランス改修の写真をアップしました。(2013.6.19)
近作野木の家の写真をアップしました。(2013.6.1)
近作Lebenschaft Projekt I(前田産科婦人科医院)の写真をアップしました。(2013.5.28)
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建築とか設計とかとはあまり関係ないというかむしろどうでもいいことが多いんですが、宜しかったら以下(↓)の上垣内個人のブログもお楽しみ下さい。いやほんとすみません。
2025年 03月 24日
情緒不安定と60と一人称
直近の最後の書き込みが昨年末なので今年に入って初めての投稿になる。でももう3月が終わりそう。父の訃報の後ではなかなかいつものふざけた投稿はしにくいもんね。さてずっと前からこのブログでも書いてたように僕は建築家は60歳からだと思ってるんですがしかしとうとうというかいよいよというか本当に今年60歳になってしまいます。だもんだからこの2年ほど実は情緒不安定でしてつまり建築家60歳説は自ら問題を先送る言い訳でしかなかったのにもう言い訳が効かなくなるわけ。大丈夫なのか自分。60歳からの建築家らしい仕事ができるのか。知らんよそんなのって開き直るしかないのか。まあこの話はとにかく頑張って結果出すしかないからこれ以上グダグダ言っても仕方ないね。ということでまだ59歳だけど自分のほぼ60年を振り返ってみるか。思い返すと一番自分で自分に驚いたことといえば自分のことを「パパ」と呼ぶ人には絶対ならないと強く強く思っていたのにいつのまにかなってしまっていたことかね。娘を持つというのがこれほど自分の信念を簡単に溶解させられることになるとは思わんかったなあ。うちの両親がお互いに「お母さん」「お父さん」と呼び合っているのを見て自分は絶対結婚したらお互いに名前で呼び合うんだと固く誓ったもんでしてもちろん結婚してその通りしてたよ。コウメが生まれるまでは。いやコウメが生まれてもすぐにはパパママではなかったか。結婚して7年なかなかできなかったくせに立て続けにコウメハッパと出てくるんだもの。年子の娘二人の親となって固い決意が瞬間的に蒸発したわけだ。一人称がパパだなんて40年前の自分が知ったら狂い死にしそう。ええ、ええ、笑ってくださいよ。きっと梅宮辰夫もそう思ってただろうな。仕方ないんだよこれは。って60年を振り返るんじゃなかったのか?
2024年 12月 29日
60周年と二人と仏
2024年 10月 20日
何回引っ越せばと気が済みましたかと野暮はいけません
2024年 10月 16日