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模型とヒラタと工房

余りの暑さにクールビズ(ネクタイなし)がスーパークールビズ(ポロシャツ)になったそうですが、なんとなく毎年最高気温が上昇している気がするので、そのうちウルトラクールビズ(Tシャツ)とかハイパークールビズ(タンクトップ)とかになったりして、挙げ句はアルティメットクールビズ(裸にネクタイ)になるんじゃないかと心配でなりません。ネクタイは大事だもんね!なんてバカなこと言ってないでまだまだ続く吉澤邸の話。
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これは設計中の最終模型ヒラタ作。まだ1999年だったかもしれない。これを見るとこれまでうだうだ書いてきた屋根の意味がおわかりになるかと思いますね。1枚板でしょ?最近はヒラタさん忙しくて暫く頼めてないんだけどこの頃から4年前くらいまではここ一番のプレゼン模型は全て彼に頼んでましたねそう言えば。やっぱり模型の威力は大きいんだよね。
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これなんかかなり良くできてたな。懐かしい。
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これも良くできていた。もちろん設計も良かったと思うんだけど残念ながらこれはアンビルト案。いずれにしてもヒラタに頼むと出来上がりが楽しみで仕方ないんです。あ、ヒラタというのは親分の事務所に勤めていた時の同僚で退職後模型専門になったお方です。口癖はとりあえず〜。
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by uegaito | 2012-07-26 16:11 | 建築 | Comments(0)
いやあ剛力ちゃん大ブレイクですね。字は違うけど我が家のコウメと同じ名前ってだけで親近感湧きまくりでCM出るたびになんだか嬉しくて仕方ありません。え?シャキーンが既にいたじゃないかって?ああ、まあその、あれです、剛力ちゃんかわいいなあ(汗)。
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さてそのコウメもハッパも生まれて初めて体験した住宅、の三たび吉澤邸。この写真は東側から見たところ。つまり片流れ屋根の高い方ですがいかに大工さんたちに面倒かけているかが良くわかるカットです。左端がペケッと折れ下がってて右端がバキッと折れ上がってる。まあこの話は一つ前で書いているからこの辺で。しつこいですがこの吉澤邸が生まれて初めて設計した木造でして、内部はともかくとにかくまあ外壁が何を使ったらいいかわかんなくてわかんなくて。独立する前までは外壁と言ったらコンクリートが下地ですからね、左官にしても塗装にしてもそういうのはたいがいわかってたんだけど、なんせ直前に担当していたプロジェクトの総工事費が180億円(だったかな。これも記憶が曖昧になってる・・・汗)だったのでコスト感覚のズレが最悪でした。そんななかラムダのかわいいピンク色を見つけて、それでまとめればいいじゃんて感じだったんだけど妙に気負ってたんだね、アルミサイディングが使いたくて。たぶんこれは当時流行ってたガルバリウム鋼板のスパンドレルなんかの影響だったんだろうね。とにかく基調をアルミサイディングにしてアトリエのボックスをピンクのラムダにしました。この流れはしばらく続きまして、野島や江戸川ではガルバ、備後初石ではラムダってな感じです。話を吉澤邸に戻すと、前職からの付き合いで温熱環境的なところでは当時テーテンス事務所に在籍していた渡辺康宏さんに色々アドバイスをいただきながら夏は換気だけ、冬は蓄熱型の床暖房でランニングコストを抑えながら一年中快適に過ごせるような設計を目指してました。話せば長くなるので大幅に端折りますがまあ冬はそこそこうまくいったね。で、夏はと言うと写真にあるように屋根なりの勾配天井の最頂部に空気抜きの窓をとって、1階の床に切ったグリルを通して床下で冷やされた空気がアトリエに取り付けた天井ファンによって吸い込まれて、最頂部の窓から抜けていくという、まあそんな空気を動かす仕組みをいくつか仕込んだんですね。これも最初の2年くらいはうまく行っていたと思う。ところがその後皆さんご存じのように日本全国を猛暑が襲います。当時の日本記録は確か山形市が持っていたと思いますが熊谷にさくっと抜かれましたね。その熊谷には及ばないものの、なぜか越谷も相当気温が高くなりまして、もはや空気が動いて風が起きたくらいでは暑さがしのげる状態にはならなくなりました。直射光の当たらないキッチンの吊り戸棚の中にしまってある鍋が熱を持つくらいだからね。設計者としてはある種の地球に対する敗北感みたいなのを感じた瞬間でした。
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by uegaito | 2012-07-21 13:49 | 建築 | Comments(1)
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吉澤邸の話の続き。これは南側の外観です。左半分がアトリエ、右半分が住まい。とにかく開口部が大きいですね。いま思うとよくまあやった(=施工させた)なって感じですがこの時は色んなことを「やんなきゃ」って気負ってて、ある種のてんこ盛り状態だったなあっていまこの写真を見ていて思いますね。中空ポリカーボネート板をアルミの押縁だけで留めるディテールや上から見ると一枚板の端を折り曲げただけのシンプルな片流れ屋根なんかは、まあ若さというか今思えば相当乱暴なデザインだった。写真で見ると右上の屋根は、1寸勾配で右上がりの屋根をペケッと折り下げたんだけど、まあ模型だったら板をほんとにペケッと折ればいいけど、実物は厚みもあれば下地もあるし、なによりちゃんと強度がないといけないから、大工さんは相当この部分に手こずってました。この写真には写ってないけど右の奧ではペケッと折り上がってるしね。こっちも作業場で仮組みして考えてくれてました。本当にまあご苦労をお掛けしたと反省しております。この設計をしている頃はまだ南青山の先輩の事務所に居候してたって前に書いたけど、当時その先輩が、木造や鉄骨造は骨組みに対して外壁が自由な「皮膜のデザイン」だって言ってたのをヒントに、骨組みの上に貼った薄紙をぺりぺりっと剥がしたような開口部をつくろうとしたんだよなあ。それまでコンクリート系のものしか設計したことのない僕にとっては、とても未知な領域で、これからしばらくは木造や鉄骨造が続いたこともあってそのことについてずっと考えていた気がします。写真は同じく尾形正茂君。まだまだ続くよ。
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by uegaito | 2012-07-20 15:33 | 建築 | Comments(0)

平方と吉澤邸と独立

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僕の記念すべき独立第1作目、吉澤邸です。カミさんの実家ですね。1999年5月一杯で親分の事務所を退社、独立となったわけですが、最初は事務所を構えたわけじゃなくて大学のゼミの先輩の事務所に居候をさせてもらってました。場所は南青山。もちろん1級建築士は既に取得していたけど建築士事務所登録はまだ何も手をつけておらず事務所名をどうしようかなあなんて呑気なことを言ってたな。その後この年の終わり頃だったかにせんげん台に移って翌2000年4月に笹尾徹君と二人で一級建築士事務所ファンクアソシエイツ.を起こすことになります。この住宅の設計はそんな、まだふわふわしてた頃にやってました。世はシックハウスと欠陥住宅の話題で持ちきりの頃、木造どころかちゃんと住宅の設計を自分で手がけるのも初めてだったものだから、まさに「一から」勉強したもんだ。このとき得た知識は後になって結構役に立ったね。まあしかし知らないと言うのは素晴らしいもので、この写真のアトリエは柱と柱の距離が6m余りで普通の木造ではつくれないからってんで、なんとスチールロッドで張弦梁とかやっちゃってる。構造家タナセさんのアイデアね。建て方の時、この部分は手こずってたなあ。地組みしてから吊り上げて嵌めていくんだからね。この規模の工事ですることじゃないよな。でもお陰様で広々として明るい(これはアトリエとしては掟破りなんだけどね)アトリエができました。100号超の絵が普通の大きさに見えるね。てな感じで今日のところはここまで。写真は高校の同級生で当時既に名前を馳せていた尾形正茂君の撮影。
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by uegaito | 2012-07-17 19:16 | 建築 | Comments(0)
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6月22日午後6時38分、義父吉澤貞夫が永眠しました。享年74歳、まだまだこれからの年齢は悔やまれてなりません。この日僕は前日から焼津の現場に行っており、朝カミさんから至急戻れとの連絡で急遽新幹線に乗り、埼玉の実家に着いたのが3時頃だったか、既にカミさんも娘たちも到着しており、家族全員でとにかくなんとか見送ることができたのがせめてものことでした。故人は僕にとっては義父であるだけではなく、独立第1作目の施主でもあります。13年前、当時勤めていた親分の事務所を辞めて独立するきっかけとなった仕事で、それまで全く扱ったことのない木造の住宅を手探り状態で設計したので、今ではとても(施工者に申し訳なくて)できないような難しい納まりのオンパレードでした。お陰様で今見ても独特のエネルギーに充ち満ちたなかなかの住宅で、たまに仕事で行き詰まるとここに来て元気を取り戻す場所でもあります。長らく教職に就かれ、満期定年を迎えて第二の人生を大好きな絵を描いて過ごしたいと、思い切って広いアトリエのある家に建て替えることを決意されたわけだけど、その設計を任せて頂けたのは感謝してもしきれない。今だったらもう15作以上の実作もあるので、安心して任せて下さいと言えるけど、当時は木造の「も」の字もあやふやな状態でしたから、さぞかし不安だったのではないかと思います。でも故人の縁のあった工務店を紹介してもらい、それが結果的には未だに僕の最高の施工パートナーである須賀工務店だというのは本当にいい縁をいただきました。この第1作目、吉澤邸は、吹抜けのアトリエを中心に夫婦の第2の人生を過ごす場としてとにかくできるだけいつもお互いの気配が感じられるようにしつらえたので、逆に言うと隠れ場所がないというか、夫婦2人でしか住めないような超開放的な住宅なんですね。とにかく仲の良いご夫婦でしたから。開放的な空間構成ですからずっと家の中にいて絵に専念していても引きこもっている感じがしないと、とても喜んでもらえたのがなにより嬉しかった。床暖房も当時にしてみればかなり贅沢に敷設したので真冬でも日差しがある時はランニングシャツでいたのを思い出します。うちの二人の娘たちが生まれた時は産院からまずこの家に来て、広くて天井の高いアトリエにベビーベッドを置いて寝かしてました。なんという贅沢な赤ちゃんだと笑ったものです。故人も最後の1ヵ月は自作の大きな絵に囲まれてここで寝ており、ここで家族全員に看取られて逝きました。天井の高さ、空間の明るさが病気の陰鬱さを和らげることができていただろうか。そうだといいのだけど。6月29日は200人を超える大勢の方々に弔問いただき、翌30日に荼毘に付されました。ここに謹んで故人のご冥福をお祈りします。
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by uegaito | 2012-07-05 22:43 | つれづれ | Comments(0)

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