伝統的ぼやきと創造的フラフラと生暖かい的見守り希望

設計という仕事はなかなか社会に理解されないので設計者の立場はなかなか向上しないと言うのが伝統的なこの世界のぼやきです。施工が現場という視覚的にオープンな「そこ」で行われるため汗水流して頑張っている職人さんたちの姿を見れば誰でも大変なことがわかりますから無理に値切ったり工期を短縮させたりはしないでしょうが、設計は割と見えないところでやってますからね。どのくらい大変なのかをわからせることが難しいからだ、という話ですね。まあね。そうなんだと思いますけどね。この手の論理で行くと設計図を何枚描いたかで設計料が決まる話から抜けられないですよね。設計作業って遊んでいるように見えるときもあるというか往々にしてそう誤解されることが多いので四六時中見られてもなあという感じがしますね。設計の本質は図面の枚数ではなくてどれだけ建築主や社会にとって有益な空間を生み出せるかですからその思考の過程は机の前に座ってガシガシ作業している(時ももちろんありますけど)よりフラフラしながら考えていることが多いものなのですよね。創造するという作業はルールが無いので思いつくためにはありとあらゆることをするものなのです。産みの苦しみってのは本当に苦しいので多少遊んでいるように見えてもどうか生暖かい目で見守って欲しいなとこう思うわけです。ただの言い訳でした。そういうことで。
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by uegaito | 2017-04-13 09:57 | つれづれ | Comments(0)

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