2012年 07月 21日
ピンクとシルバーと快適の難しさ
さてそのコウメもハッパも生まれて初めて体験した住宅、の三たび吉澤邸。この写真は東側から見たところ。つまり片流れ屋根の高い方ですがいかに大工さんたちに面倒かけているかが良くわかるカットです。左端がペケッと折れ下がってて右端がバキッと折れ上がってる。まあこの話は一つ前で書いているからこの辺で。しつこいですがこの吉澤邸が生まれて初めて設計した木造でして、内部はともかくとにかくまあ外壁が何を使ったらいいかわかんなくてわかんなくて。独立する前までは外壁と言ったらコンクリートが下地ですからね、左官にしても塗装にしてもそういうのはたいがいわかってたんだけど、なんせ直前に担当していたプロジェクトの総工事費が180億円(だったかな。これも記憶が曖昧になってる・・・汗)だったのでコスト感覚のズレが最悪でした。そんななかラムダのかわいいピンク色を見つけて、それでまとめればいいじゃんて感じだったんだけど妙に気負ってたんだね、アルミサイディングが使いたくて。たぶんこれは当時流行ってたガルバリウム鋼板のスパンドレルなんかの影響だったんだろうね。とにかく基調をアルミサイディングにしてアトリエのボックスをピンクのラムダにしました。この流れはしばらく続きまして、野島や江戸川ではガルバ、備後や初石ではラムダってな感じです。話を吉澤邸に戻すと、前職からの付き合いで温熱環境的なところでは当時テーテンス事務所に在籍していた渡辺康宏さんに色々アドバイスをいただきながら夏は換気だけ、冬は蓄熱型の床暖房でランニングコストを抑えながら一年中快適に過ごせるような設計を目指してました。話せば長くなるので大幅に端折りますがまあ冬はそこそこうまくいったね。で、夏はと言うと写真にあるように屋根なりの勾配天井の最頂部に空気抜きの窓をとって、1階の床に切ったグリルを通して床下で冷やされた空気がアトリエに取り付けた天井ファンによって吸い込まれて、最頂部の窓から抜けていくという、まあそんな空気を動かす仕組みをいくつか仕込んだんですね。これも最初の2年くらいはうまく行っていたと思う。ところがその後皆さんご存じのように日本全国を猛暑が襲います。当時の日本記録は確か山形市が持っていたと思いますが熊谷にさくっと抜かれましたね。その熊谷には及ばないものの、なぜか越谷も相当気温が高くなりまして、もはや空気が動いて風が起きたくらいでは暑さがしのげる状態にはならなくなりました。直射光の当たらないキッチンの吊り戸棚の中にしまってある鍋が熱を持つくらいだからね。設計者としてはある種の地球に対する敗北感みたいなのを感じた瞬間でした。
by uegaito
| 2012-07-21 13:49
| 建築