義父と施主第1号と早すぎる別れ

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6月22日午後6時38分、義父吉澤貞夫が永眠しました。享年74歳、まだまだこれからの年齢は悔やまれてなりません。この日僕は前日から焼津の現場に行っており、朝カミさんから至急戻れとの連絡で急遽新幹線に乗り、埼玉の実家に着いたのが3時頃だったか、既にカミさんも娘たちも到着しており、家族全員でとにかくなんとか見送ることができたのがせめてものことでした。故人は僕にとっては義父であるだけではなく、独立第1作目の施主でもあります。13年前、当時勤めていた親分の事務所を辞めて独立するきっかけとなった仕事で、それまで全く扱ったことのない木造の住宅を手探り状態で設計したので、今ではとても(施工者に申し訳なくて)できないような難しい納まりのオンパレードでした。お陰様で今見ても独特のエネルギーに充ち満ちたなかなかの住宅で、たまに仕事で行き詰まるとここに来て元気を取り戻す場所でもあります。長らく教職に就かれ、満期定年を迎えて第二の人生を大好きな絵を描いて過ごしたいと、思い切って広いアトリエのある家に建て替えることを決意されたわけだけど、その設計を任せて頂けたのは感謝してもしきれない。今だったらもう15作以上の実作もあるので、安心して任せて下さいと言えるけど、当時は木造の「も」の字もあやふやな状態でしたから、さぞかし不安だったのではないかと思います。でも故人の縁のあった工務店を紹介してもらい、それが結果的には未だに僕の最高の施工パートナーである須賀工務店だというのは本当にいい縁をいただきました。この第1作目、吉澤邸は、吹抜けのアトリエを中心に夫婦の第2の人生を過ごす場としてとにかくできるだけいつもお互いの気配が感じられるようにしつらえたので、逆に言うと隠れ場所がないというか、夫婦2人でしか住めないような超開放的な住宅なんですね。とにかく仲の良いご夫婦でしたから。開放的な空間構成ですからずっと家の中にいて絵に専念していても引きこもっている感じがしないと、とても喜んでもらえたのがなにより嬉しかった。床暖房も当時にしてみればかなり贅沢に敷設したので真冬でも日差しがある時はランニングシャツでいたのを思い出します。うちの二人の娘たちが生まれた時は産院からまずこの家に来て、広くて天井の高いアトリエにベビーベッドを置いて寝かしてました。なんという贅沢な赤ちゃんだと笑ったものです。故人も最後の1ヵ月は自作の大きな絵に囲まれてここで寝ており、ここで家族全員に看取られて逝きました。天井の高さ、空間の明るさが病気の陰鬱さを和らげることができていただろうか。そうだといいのだけど。6月29日は200人を超える大勢の方々に弔問いただき、翌30日に荼毘に付されました。ここに謹んで故人のご冥福をお祈りします。
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by uegaito | 2012-07-05 22:43 | つれづれ | Comments(0)

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