懐疑と猜疑と教養

自分なりのものの見方を養うために何でも疑って見る、ってのは僕も自分でも実践した経験があるし今も学生にそういうことを言う時もある。もちろんこれは世の中の情報が必ずしも正しいわけではないことを知るわけだからとても大事な訓練だと思うけど、やりすぎってのかな、何でもかんでも疑い出すときりがないわけで、課題発見→解決能力とただの猜疑心とがごちゃごちゃになり出すと大変だ。人格形成の重要な時期をネットのない時代に過ごした幸せなオッサンとしては、最近の、ネット内の意見てのが後者もしくはそれを誘導するかのような意見が多々見られるのがとても心配。ものごとに疑問を持って自分なりの解を模索することは基本的にそのベースとしてしっかり勉強をしないといけないけど、ただの猜疑は生き物の持って生まれた本能なんだろうから誰でもできる。というか欲望を制御してこそのホモサピエンス・サピエンスなんだろうに、猜疑という本能を知識や教養で制御できないのはとても危険な気がする。改めて言うほどのことでもないけどね。でも自分の無教養を棚に上げてやみくもに疑うというのはなんとかならないものかね。
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by uegaito | 2009-09-23 09:59 | つれづれ | Comments(0)

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